進化と便利の追究、大事にしたいこと
2018年04月21日
娘が小学生だったころ連れて行った映画にウォルト・ディズニーの「ウォーリー」という映画があった。
10年ほど前だったと思う。
27世紀、人間は、ゴミだらけになった地球を捨て、宇宙で悠々自適に暮らしている。一方で、主人公のロボット「ウォーリー」は
一人(一体)で地球のゴミを片付けている。友達がほしかったウォーリーの前に「イブ」という真っ白できれいなロボットが現れるが、
イブは宇宙船に回収されてしまう。イブと仲良くなりたかったウォーリーは宇宙船を追いかける。
そこで見た宇宙の世界は、これまでにみたことにない人間の生活を見ることになる。
https://www.disney.co.jp/studio/animation/0902.html
この映画は、人間が望んで作り出した進化と便利が行き過ぎるとその進化と便利に支配されてしまうことを
風刺していたように思う。
先日、TVコマーシャルを観ていて気づいたことがある。
映画の宇宙での暮らしが2018年にもすでに取り入れられているとこうことだ。
映画の年代設定は27世紀。随分と進化の速度が早い。
そのTVコマーシャルとは、呼びかけで反応するスマートスピーカー。
人間がやってほしいことをいろんな角度から実現してくれる人工知能だ。
当時、その場面を観たときは、アニメーションの世界、空想の世界という捉え方だったが、
映画の中で描かれている場面は、まさに同じ。
映画で描かれていた宇宙の生活とは・・・。
人間は、リクライニングチェアに横たわっているだけ。朝になると、チェアの背もたれで人間が起き上がる。
座ったまま、朝食が目の前に運ばれてくる。食事するときも自分の手を使わない。
トイレに行きたいとき、お風呂に入りたいとき、出かけたいときもAOUTでリクライニングチェアに座ったまま、
自分を運んでくれる。暮らしの手段はすべてロボット。
人間が動くことをしないため、すべての人が肥満化している。
ますますロボットに生活を支配されてしまうという悪循環が描かれているように思った。
さらに、そこには人と人の関わりはなく、すべてが人対ロボットの関係性だけ。
スマートスピーカーは、これにとても似ている。
自分が動かなくとも、話しかけると手段を講じて、指示したことを行動に起こしてくれる。
コマーシャルでは、「クラッカー、注文しておいて」とか、「電気消して」とか。
座ったままで用事を済ませてくれる。人間は動いていない。
映画「ウォーリー」のストーリーに重ね合わせるならば、人間が便利さを求めて地球を捨ててしまったように、
私たちは、進化と便利さの追究から、何か大切なものやことを「ゴミ」にしてしまおうとしているのではないかと
ふと思った。